HOME > CONCEPT

この研究では、
憲法(学)についてのメタ理論としての
メタ憲法学と呼ぶべき新たな学術分野を
確立することをめざします。

道徳的言説・倫理学の主張・言明がどのような意味を持つか・そもそも意味を持つかといった問題を哲学的に反省する分野はメタ倫理学と呼ばれ、たとえば道徳的主張が「世界のあるべき姿」という事実の記述なのか、発話者の好悪などの感情を表現するものかといった問題を検討することを通じて、従来の規範倫理学を上回る活発な議論の対象となってきました。
メタ憲法学はこれと同様に、道徳と並ぶ人間社会の規範体系である法の中核にある憲法(学)について、そこで現に展開されている実践を対象としてメタ倫理学的な分析を加える試みとして定位されます。
法に関する規範的分析は従来「法概念論」として展開されてきましたが、特定分野の具体的な実定法との関連性が必ずしも深化してきたとは言えず、メタ倫理学と比較すれば依然として未発達な状態に留まっています。本研究は、憲法という特定の法領域を対象として、法概念論のより堅固な基盤を構築しようとするものです。
 

研究課題の核心となる「問い」
――「メタ憲法学」の開拓

この研究の目的は、ここでメタ憲法学と呼ぶ新学術分野、すなわち憲法(学)についてのメタ理論を確立することです。通常の憲法学がいわば、憲法の理論(theory of constitution)であるのに対し、メタ憲法学は憲法(学)についての理論(theory about constitution)と表現することができるでしょう。この点について、道徳哲学分野の先行事例を参照して説明してみます。
伝統的な倫理学(道徳の理論)は、道徳の内容を整序・体系化することを目標とする分野でした。これに対し、道徳的主張・道徳的言明に現れる「べきought」・「善いgood」・「正しいright」といった語はそもそも何を意味しているのか、道徳的主張・道徳的言明を為す際に我々がそこで一体何をしているのかを哲学的に反省しようという試みが、20世紀以降の分析哲学において現れます。そこではたとえば、道徳的主張が「あるべき状態」という世界の特殊な側面を表象し記述する営みなのか、あるいは間投詞のように発話者の欲求や好悪の感情を表出する営みに過ぎないのかといった問題が扱われました。この新しい学術分野はメタ倫理学meta-ethicsとして確立されて以来すでに1世紀以上が経過し、従来の規範倫理学を上回る活発な論議の対象となっています。
道徳という規範体系についての理論がこのように確立される一方で、人間社会におけるもう一つの重要な規範体系である法についての理論は法概念論と呼ばれてきましたが、メタ倫理学と比較すればなお未発達な段階に留まっています。憲法についての理論を構築しようとするメタ憲法学は、憲法という特定の法領域を対象として、法概念論の未開拓の部分を探究しようとする試みと位置付けることができるでしょう。
ここで、法一般ではなくあえて憲法に定位したメタ理論を構築しなければならない理由、一般的な法概念論と区別して構想すべき理由としてのメタ憲法学固有の意義としては、さしあたり以下の3点を挙げることができます。

①憲法の道徳性

憲法は、その他の実定法以上に、その法文中に道徳的評価語・価値語が頻出するという特徴を持っています。民法・刑法等にも「善意・悪意」など道徳的評価語が登場するものの、その本来の規範的性格は薄れていると言えるでしょう。これに対し、自由・尊厳・平等・福祉・苦役・正当といった道徳的評価語・価値語が憲法には頻出し、かつ中心的な解釈の対象となっているのです。このことは、憲法を適用する際の法的判断や憲法学の言明が、少なくとも部分的には明示的な道徳判断としての性格を有することを示唆するのではないでしょうか。したがって、道徳判断についてどのような考え方を取るか(たとえば相対主義を採用するか)によってそうした判断・言明の性格の理解が変動し、憲法判断・憲法学がどこまで「合理的・理性的rational, reasonable」な営為であり得るかという問題に影響するといった関係を想定することができます。

②憲法の偶有性

ここで偶有性とは、そうでないこともあり得たにもかかわらず現にこのようにあるという意味で用いられています。したがって、必然性を欠くにもかかわらず拘束力を持つ理由を問題として想定することができるでしょう。もちろん一般の実定法も同様の性格を持ちますが、それらが憲法によって授権された議会の決定による正当化に訴え得るのに対し、憲法は、たとえ憲法自身が沈黙しているとしても、外部の憲法制定権力の存在と正当性を「前提として想定しているpresuppose」のではないでしょうか。
憲法制定権力とは何か、あるいはたとえば「憲法制定権力は○○に属する」と述べるときにそこで何が遂行されているのかが、哲学的に解明される必要があるのです。特に、現実の憲法が各国で異なっているにもかかわらず、それぞれの国民(から構成される政治権力)を拘束し得るものだと共通して考えられていることは、各国の憲法がすでに国民国家体制を前提として想定していることを示すものでもあるでしょう。「国民」の概念を憲法のメタ理論の観点から解明することは、本研究構想の大きな目的のひとつです。

③憲法の最高法規性

憲法が自分自身の最高性を主張するとはどのようなことか、ある法律が憲法に反し「無効」であるとはどのようなことか、「憲法の改正限界」の主張は何を意味しているのかといった論点も、これまで十分に解明されてきたわけではありません。いわゆる自衛隊「違憲合法」論や、憲法内部における規範の優先関係を設定することによって憲法改正規定の改正不能性を主張するタイプの憲法改正限界論(清宮四郎)の可能性について学術的に議論することには、このような問題が政治的にクローズアップされる状況にあるからこそ、大きな重要性があると考えることができます。
 

研究の方向性

メタ憲法学の当面の対象である日本国憲法は、福祉国家体制・国民国家体制を前提的に想定しています。このうち国民国家は当然に「国民」の存在を前提していることになるでしょうが、福祉国家もまた、グローバルな福祉的再分配を肯定し国内の困窮者よりもアフリカ地域の飢餓に苦しむ人々を優先するような国家が存在しない以上、自国民と他国民とを区分して取り扱うナショナリズムの存在なしには維持し得ないと考えられます。憲法はこの意味で、「国民」とその範囲に関わる規範という性質を不可避的に持っています。
ここから本研究では、憲法制定権力論と憲法改正限界論・憲法の最高規範性・規範的排除的法実証主義・憲法学の方法的立場・憲法と時間・ネイションと結社の各テーマについて、最終的には「国民」の問題に行き着くことを想定しつつ、検討を行ないます。